標本分布
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第5章では、母集団がどんな分布に従うか(正規分布・二項分布…)という「形のテンプレート」を学びました。しかし現実には母集団そのものは見えません。手元にあるのは抽出した標本と、そこから計算した標本平均 $\bar{x}$ や 標本比率 $\hat{p}$ だけです。
ここで注意したいのは、標本は抽出のたびに変わるので、そこから計算した $\bar{x}$ も標本ごとに違う値になることです。つまり $\bar{x}$ はそれ自身が確率変数で、独自の確率分布を持ちます。これが標本分布(sampling distribution)です。
第5章まで
母集団の分布を扱う
「個々のデータ $X$ はどうばらつくか」
例:身長 $X \sim N(170, 6^2)$
第6章(本章)
統計量の分布を扱う
「標本平均 $\bar{X}$ はどうばらつくか」
例:100人の平均身長はどの範囲に?
「1回の標本から計算した $\bar{x}$ が、真の母平均 $\mu$ からどれくらいズレ得るか」を確率で評価できます。
これは第7章「推定」(標本から母数を当てる)と第8章「検定」(差が偶然か判定する)の土台です。標本分布が分からないままでは、推定も検定も始められません。
統計量と標本分布
標本から計算した値は「確率変数」である
統計量 (Statistic) と母数 (Parameter)
まず2つの言葉をはっきり区別します。母数は母集団の真の値で1つに定まった定数です(ただし通常は未知)。統計量は標本から計算する値で、標本が変われば変わります。
| 母数(母集団・真の値・固定) | 統計量(標本から計算・変動) | |
|---|---|---|
| 平均 | $\mu$ | $\bar{x}$ |
| 分散 | $\sigma^2$ | $s^2$ |
| 標準偏差 | $\sigma$ | $s$ |
| 比率 | $p$ | $\hat{p}$ |
母数はギリシャ文字($\mu,\sigma,\sigma^2$)や $p$、統計量はラテン文字+記号($\bar{x}, s, \hat{p}$)で書くのが慣習です。母数は「当てたい正解」、統計量は「手元の標本から作った推測材料」です。
標本分布
同じ母集団から標本を取り直すたびに $\bar{x}$ は少しずつ違う値になります。 これを何十回、何百回と繰り返し、出てきた標本平均をヒストグラムにすると、母平均 $\mu$ を中心とした山ができます(下の図)。この「標本平均の分布」を標本分布と呼びます。
標本を取る前の標本平均は、どの値が出るかまだ決まっていない確率変数です。そこで第5章の約束どおり大文字で $\bar{X}$ と書きます。実際に取った後の値は小文字の $\bar{x}$ です。 この山がどんな形になるかは、3 の中心極限定理で分かります。
① 母集団の分布(個々のデータ $X$)/② 標本のデータ(1回分の手元データ)/③ 標本分布(統計量 $\bar{X}$ の分布)。
この章の主役は③です。①と③は別物で、後述しますが、③は①よりばらつきが小さくなります。
標本平均の分布
中心は μ のまま、散らばりは $\sqrt{n}$ 分の1に縮む
同じ母集団から何度も標本を取り直すと、$\bar{x}$ は母平均 $\mu$ の周りに散らばります。その散らばり、すなわち、「標本平均が母平均からだいたいいつもどれくらいズレるか」を標準誤差と呼びます。 中身は標本分布の標準偏差(分散のルート)そのものです。ただ、個々のデータのばらつきを表す標準偏差と区別するために、標本分布の標準偏差だけは特別に「標準誤差」と呼びます。
これを式にすると、分布の中心・分散・標準誤差はそれぞれ次の通りです。
SE = Standard Error です(標準誤差)。標本平均 $\bar{X}$ の標準偏差のことです。
母標準偏差 $\sigma = 20$ の母集団から標本をとるとき:
・$n = 100$ → SE $= \dfrac{20}{\sqrt{100}} = \dfrac{20}{10} = $ 2
・$n = 400$ → SE $= \dfrac{20}{\sqrt{400}} = \dfrac{20}{20} = $ 1
標本を4倍(100→400)にして、やっと標準誤差は半分です(2→1)。割るのが $n$ ではなく $\sqrt{n}$ だからで、精度を2倍にするには標本は4倍、3倍にするには9倍必要になります。
標準偏差 σ と 標準誤差 σ/√n を混同しない
標準偏差 σ
個々のデータのばらつきです。
標本を大きくしても変わりません(母集団の性質)。
標準誤差 σ/√n
標本平均のばらつきです。
標本を大きくすると小さくなります(推測の精度が上がる)。
チェビシェフの不等式:分布の形を知らなくても言えること
ここまでで、$n$ を増やすと標準誤差 $\sigma/\sqrt{n}$ が小さくなる、つまり標本平均のばらつきが減ることが分かりました。では、標本平均が母平均 $\mu$ から大きく外れる確率も小さくなるのでしょうか。これを確かめる道具がチェビシェフの不等式です。
「平均から標準偏差 $k$ 個ぶん以上離れた値が出る確率は $1/k^2$ 以下」です。分布の形は問いません。左右対称でも激しく偏っていても、必ず成り立ちます(導出は省きます)。
ある職業の年収が、平均 500万円、標準偏差 100万円だとします。1人を選んだとき、平均から標準偏差2個ぶん(200万円)以上離れる確率、つまり年収が 300万円以下か 700万円以上になる確率は、合わせて $1/2^2 = 25\%$ 以下です。年収の分布がどんな形でも、これは必ず成り立ちます。
この性質は、分布でさえあれば何にでも使えます。個々のデータの分布でも、標本平均の分布(標本分布)でも同じです。
大数の法則 (Law of Large Numbers)
では標本分布に当てはめてみます。標本分布の標準偏差は標準誤差 $\text{SE}=\sigma/\sqrt{n}$ です。そこで、チェビシェフの不等式の $X$ を $\bar{X}$ に、$\sigma$ を $\sigma/\sqrt{n}$ に置き換えます。 $$P\left(|\bar{X}-\mu| \ge k\cdot\frac{\sigma}{\sqrt{n}}\right) \;\le\; \frac{1}{k^2}$$ 「標本($n$ 個)を1回取ったときの標本平均が、$\mu$ から SE の $k$ 個ぶん以上外れる確率は $1/k^2$ 以下」という意味です。
「大きく外れる」の線を、たとえば $\mu \pm \sigma/2$ に決めます(紫の帯)。激しく偏った母集団から $n$ 個取って $\bar{X}$ を計算することを 2,000 回繰り返し、ヒストグラムにしました。赤は線の外に出た回、軸の下の目盛りは SE 1個ぶんです。
$n$ を増やすと SE(目盛り)が縮むので、同じ線が SE の $k$ 個ぶんへと遠くなり、上限 $1/k^2$ が下がります。実際に外れた割合が上限を一度も超えないまま、どちらも $0$ に近づくことを確かめてください。
$n$ を増やせば、標本平均が $\mu$ から外れる確率はいくらでも小さくなります。これが大数の法則です。図で見ると、標本分布が $\mu$ のまわりに細く集まっていく姿として現れます。上限そのものは実際の割合よりかなり大きめですが、どんなに偏った母集団でも破られないのが強みです。
大数の法則は「平均が μ に近づく」であって、「表が続いたから次は裏が出やすい」ではありません。コインに記憶はなく、各回の確率は常に 1/2 です。多数回の平均が安定するだけで、個々の試行の確率は変わりません。
中心極限定理(CLT) 🌟
この章で最重要:推測統計の全体を支える定理
2 で標本平均の中心(μ)と散らばり(σ/√n)は分かりました。残る問いは「どんな形の分布になるか」です。
大数の法則のシミュレーションで、薄々お気づきの方も多いかと思います。激しく偏った母集団から取っていたのに、$n$ を増やすほど $\bar{X}$ のヒストグラムは左右対称の釣鐘型に近づいていました。あれは偶然ではありません。その正体が、統計学で最も有名な定理です。
母集団がどんな分布であっても、$n$ が十分大きければ、標本平均 $\bar{X}$ の分布は正規分布に近づきます。
この定理のすごさは、母集団が歪んでいようと、双峰だろうと、一様だろうと、そこから $n$ 個取って計算した標本平均の分布は、$n$ が大きければ正規分布に近づく点にあります。だから第7章「推定」も第8章「検定」も、母集団の形を気にせず正規分布を前提に計算できます。この一点で推測統計が一気に実用化されます。
体感シミュレーション:平均をとると釣鐘になる
母集団の形を選び、そこから大きさ $n$ の標本をとって平均を出します。これを 3,000 回くり返してヒストグラムにするシミュレーションです。左上最初は母集団そのもの、残り3つがシミュレーションの結果です。$n$ を上げると形がどう変わるかを見てください。赤い曲線は理論上の正規分布 $N(\mu, \sigma^2/n)$ です。
ここで選べる3つの母集団は数式で書けるなめらかな形ですが、実務で出会う年収や購入金額のようなギザギザした実データの分布でも結論は同じです。母集団の形はまったく問われません。
サイコロ1個の目は一様です(どれも 1/6)。ですが、2個の和は 7 が出やすく両端が出にくい三角形になり、個数を増やすほど中央が盛り上がった釣鐘に近づきます。
理由:極端な平均(全部1など)は組合せが少なく確率が低いです。中くらいの値ほど作り方(組合せ)が多いので確率が高いです。この「中央集中」が正規分布を生みます。
- $\bar{X}$ の分布を正規分布とみなしてよい $n$ の目安は$n \geq 30$。ただし元の分布の歪みが強いほど、もっと大きな $n$ が必要。
- 元の母集団がもともと正規分布なら、どんな $n$ でも $\bar{X}$ は厳密に正規(近似ではない)。
- 正規に近づくのは平均(や和)であって、個々のデータではない。データ自体は元の歪んだ形のまま。
二項分布の正規近似
中心極限定理は平均だけでなく「和」にも使えます。二項分布の $X$($n$ 回のうちの成功回数)は、成功なら $1$、失敗なら $0$ というベルヌーイ試行の結果を $n$ 回足したものです(第5章)。和なので、$n$ が大きければ正規分布で近似できます。平均と分散は、二項分布のもの($np$ と $np(1-p)$)をそのまま使います。
棒が二項分布 $B(n,p)$ の本当の確率、曲線が正規近似 $N\bigl(np,\ np(1-p)\bigr)$ です。はじめは $p=0.2$ と偏った設定なので、棒は左に寄って曲線とずれています。$n$ を増やして、棒が曲線にぴったり重なっていくことを確かめてください。$p$ を $0.5$ から離すほど、重なるまでに大きな $n$ が要ることも分かります。
連続修正:棒グラフを曲線で近似するときの「$\pm 0.5$」
この近似を使って「$X$ が $13$ 回以上になる確率」のような具体的な確率を出すとき、1つ注意があります。二項分布の $X$ はとびとびの整数ですが、正規分布は連続です。棒グラフの「$13$ の棒」は横軸の $12.5$ から $13.5$ までを占めているので、「$13$ 以上」を曲線で測るなら $12.5$ から右の面積を取らないと、棒の左半分を取りこぼします。
「$k$ 以上」は $k$ の棒の左端 $k-0.5$ から、「$k$ 以下」は右端 $k+0.5$ までを取ります。棒を半分に切らないように境界を動かす、と覚えれば向きを間違えません。
※ $n$ が大きいほど棒1本の幅は相対的に小さくなるので、修正の効果も小さくなります。試験では「連続修正を行う」と指示されたときだけ使えば十分です。
標本比率の分布
「賛成は何%?」:世論調査の ±誤差の正体
$n$ 人に調査して、そのうち $X$ 人が「賛成」だったとき、標本比率は $\hat{p} = X/n$ です。$X$ は二項分布 $B(n,p)$ に従う(第5章)ので、$\hat{p}$ の期待値と分散もそこから決まります。
・$\hat{p}$(ピー・ハット)=標本比率:調査した $n$ 人のうち「賛成」の割合(手元で計算できる値)
・$p$(無印のピー)=母比率:母集団全体での「賛成」の割合(真の値・ふつう未知)
$E[\hat{p}] = \dfrac{1}{n}E[X] = \dfrac{np}{n} = p$
$V[\hat{p}] = \dfrac{1}{n^2}V[X] = \dfrac{np(1-p)}{n^2} = \dfrac{p(1-p)}{n}$
3 で見た二項分布の正規近似 $X \approx N\bigl(np,\ np(1-p)\bigr)$ を $n$ で割ると、$\hat{p}=X/n$ についても次の近似が成り立ちます。
ただし、これはあくまで近似です。上の式に付いている目安 $np \geq 5$ かつ $n(1-p) \geq 5$ を満たさないとき、つまり $p$ が $0$ や $1$ に近く、しかも $n$ が小さいときは、$\hat{p}$ の分布は正規分布になりません。
理由は壁があるからです。比率は $0$ から $1$ までしか動けないので、たとえば $p=0.9$ なら右に伸びる余地が $0.1$ しかありません。左右対称になりようがなく、右が詰まって左に裾を引いた形になります。
ある政策への賛成率が真に $p=0.4$ で、$n=400$ 人を調査するとき:
・標準誤差 $= \sqrt{\dfrac{0.4 \times 0.6}{400}} = \sqrt{\dfrac{0.24}{400}} = \sqrt{0.0006} \approx 0.0245$
・約95%の標本では $\hat{p}$ は $p \pm 1.96 \times \text{SE} = 0.4 \pm 1.96 \times 0.0245 \approx 0.4 \pm 0.048$ の範囲。
→ ニュースの「賛成 40%(誤差 ±約5%)」という表現は、この標準誤差から来ています。標本サイズ $n$ を増やせば誤差は縮みます(第7章の区間推定で詳述)。
主要な標本分布(t・カイ二乗・F)
すべて正規分布から生まれる「推定・検定の道具」
3 の中心極限定理で、標本平均は $\bar{X} \approx N(\mu,\ \sigma^2/n)$ に従うと分かりました。これを具体的な場面で使ってみます。 「内容量 60g」と表示されたポテトチップスの工場です。表示を下回るとクレームになるので、充填機は少し多めの平均 $\mu=62.0$g を狙う設定で、ばらつきは $\sigma=1.0$g と分かっています。ある日 $n=25$ 袋を抜き取ったら、標本平均は $\bar{x}=61.6$g でした。
この「0.4g 下」はよくあるブレの範囲なのでしょうか。それとも、充填機の故障を疑うほどめったに起こらないことなのでしょうか。生の差だけでは判断できません。判断するには共通のものさしが要ります。
なぜ標本平均を「標準化」するのか
ものさしは 2 で学んだ標準誤差 $\text{SE}=\sigma/\sqrt{n}$ です。「$\mu$ から SE 何個分ずれているか」を表す量が標準化です。
これをすると、単位もスケールもバラバラな問題がすべて同じ $N(0,1)$ に乗ります。あとは、このたった1つの分布の上で「どれくらい珍しいか」を測るだけです。この「珍しさの判定」こそ、第7章「推定」・第8章「検定」の心臓部です。
あとは第5章の標準正規分布表を引くだけです。表から、$z=2.0$ の外側(片側)の確率は $0.0228$、つまり約 $2.3\%$ と分かります。
この節のはじめのポテトチップス工場($\mu=62.0$g、$\sigma=1.0$g、$n=25$、$\bar{x}=61.6$g)で計算します。
・標準誤差 $\text{SE} = \dfrac{\sigma}{\sqrt{n}} = \dfrac{1.0}{\sqrt{25}} = \dfrac{1.0}{5} = 0.2$
・$z = \dfrac{61.6-62.0}{0.2} = -2$ → 「平均より SE 2個分 下」
標準正規分布表より、$z \le -2$ になる確率は(左右対称なので $z \ge 2$ と同じ)約2.3% です。「0.4g 下」では珍しいか分かりませんが、$z=-2$ なら充填機の故障を疑うレベルと判断できます。
ところが、普通は母平均も母分散も分からない
上の充填機の例は、狙いの $\mu=62.0$g も工場がつかんでいる $\sigma=1.0$g も与えられている特殊な状況でした。ふつうはどちらも分かりません。たとえば「全国の高校生から $100$ 人を選んで通学時間を測ったら、標本平均は $38$ 分だった。では全国の平均は本当に $38$ 分あたりなのか?」という問いです。この問いでは $\mu$ も $\sigma$ も最初から与えられていません。
ただし、$\mu$ と $\sigma$ ではこの計算での立場が違います。$\mu$ は問いの対象そのものです。推定ではこれから求める答え、検定では「仮に $\mu=40$ 分だとしたら」と自分で仮定して置く値なので、未知のままでも分子 $\bar{x}-\mu$ は書けます。
一方 $\sigma$ は、珍しさを測るために計算へ入れる道具にすぎません。その道具の値が手に入らないので、標準化の分母 $\sigma/\sqrt{n}$ が埋まらないのです。
$s_u$ で代用した $t$ は、もう正規分布そのものではなく、専用の分布(t分布)に従います。さらに、分散そのものを扱うときの統計量はカイ二乗分布に、2つの分散を比べるときの統計量はF分布に従います。$\sigma$ が分からない世界で推定・検定をするためのこの3つは、すべて標準正規分布 $Z$ から作られます。まず全体像を見てから、1つずつ詳しく見ていきます。
3つの分布の関係
① t分布(スチューデントの t)
$E[t]=0$($n\ge3$)、左右対称、とる値は実数全体(自由度 $n-1$ が形を決める)
$\sigma$ の代わりに不偏標準偏差 $s_u$ を使って標準化した統計量が、この $t$ です。正規分布ではなく自由度(df)$n-1$ の t分布に従います。なぜ正規分布から少しズレるのか、順に見ていきます。
鍵は、代役の $s_u$ が本物の $\sigma$ からどうズレてしまうかにあります。実は、標本から計算したばらつきには$\sigma$ より小さめに出るクセがあります。
まずは体感からです。母集団(全部)から $n$ 個を無作為に取り出し、その標本から計算したばらつきを、本当の母分散 $\sigma^2$ と何千回も比べます。スライダーで $n$ を動かしてみてください。
なぜ紫($\bar{x}$ 基準)だけ短いのでしょうか。理由は「どこから測るか」です。ばらつきは中心からの距離で測りますが、真の中心 $\mu$ は不明で、自分の標本の中心 $\bar{x}$ から測るしかありません。$\bar{x}$ はその標本のど真ん中に来るので、そこから測った距離はどんな点から測るより小さくなります。だから過小評価になります。シミュレーターの緑($\mu$ 基準)が $\sigma^2$ ちょうどに近いのは、標本の選び方そのものには偏りがない証拠です。
この過小評価を補うのが、第1章で一瞬触れてそのままにしておいた不偏分散です。標本分散は「各データと $\bar{x}$ の差を2乗して合計したもの(=偏差平方和 $\sum(x_i-\bar{x})^2$)」を割り算して出します。素朴にデータ数 $n$ で割ると、上で見たとおり小さすぎます(紫)。そこで同じ和を $n$ ではなく $n-1$(1だけ小さい数)で割ります。割る数が小さくなるぶん結果が少し大きくなり、ちょうど $\sigma^2$ に合うようになります。
ただし「平均的には」、です。$s_u$ は1つの標本から計算する推定値なので、標本を取り直すたびに値が変わり、データが少ないほど大きく振れます。$\sigma$ より大きく出ることも、小さく出ることもあります。そして $t$ の式では、その $s_u$ が分母にいます。
分母が小さければ、同じズレでも $t$ は大きく跳ね上がります。$s_u$ が小さく出た標本は、正規分布ならめったに出ない大きな $t$ を生み、それが分布の裾を太らせます。逆に $s_u$ が大きく出た回は $t$ が $0$ の方へ縮むだけで、裾には影響しません。
ただし上の2枚は、$s_u$ が $\sigma$ より大きい回と小さい回を都合よく仕分けた図です。現実には $\sigma$ が分からない以上そんな仕分けはできず、t分布はあらゆる標本の $t$ 値をひとまとめにした分布になります。
では、それは正規分布より高い山になるでしょうか、低い山になるでしょうか。
鍵は非対称さです。広がる側はいくらでも広がれます($s_u \to 0$ で幅は無限大)が、締まる側は幅 $0$ が限界です。伸びる側だけ上限がないので広がる側が勝ち、正規分布より裾が太く、そのぶん山が低い形になります。これが t分布です。
ここで、$s_u$ のブレ具合が $n$ で決まることを思い出してください。$n$ が小さいほど $s_u$ は $\sigma$ から大きく外れ、$n$ が大きいほど $\sigma$ の近くに落ち着きます。
つまり、$n$ が十分に大きくないうちは分母が暴れるので、t分布は低く裾の広がった山になります。逆に標本を増やすと $s_u$ は $\sigma$ にぴたりと落ち着いて分母が暴れなくなり、裾の太りも消えて正規分布に一致します(下のグラフ)。
t分布は母分散 $\sigma$ が未知のときの母平均の推定・検定(第7・8章)に使います。
② カイ二乗分布(χ²)
t分布を手に入れたことで、母平均(中心)を扱う準備が整いました(実際に推定・検定をするのは第7・8章です)。
次はばらつき(分散)そのものが相手です。さきほどの充填機で言えば、母平均 $\mu$ が狙いの $62.0$g のままでも、1袋ごとのばらつきが大きくなれば、表示の $60$g を下回る袋が増えます。つまり「$\sigma$ は本当に $1.0$g のままか?」を確かめたいわけです。母分散 $\sigma^2$ を推定・検定したいわけです。
ところが手元にあるのは、標本から計算した $s_u^2$ だけです。
標本平均 $\bar{x}$ が母平均 $\mu$ の近くの値になりやすかったのと同じで、$s_u^2$ も $\sigma^2$ の近くの値になりやすく、$\sigma^2$ を中心にばらつきます。「分散に分散がある」ようで少し気持ち悪いのですが、$s_u^2$ も標本ごとに変わる確率変数である以上、避けられません。
そこで「$s_u^2$ は $\sigma^2$ のまわりでどうばらつくのか」を考えます。つまり$s_u^2$ の確率分布はどんな形をしているのかを知る必要があります。
実はどれも正解です。どの形になるかは標本のデータ数 $n$ によって変わります。
- $s_u^2$ は2乗の和なので0より小さくなれません。左に壁があるぶん山は左に寄り、右に長い裾を引きます。
- $n$ が増えるほど値が安定するので山は締まっていき、$\sigma^2$ を重心とする釣鐘型に近づきます。
形は分かりました。でも、ほんとうに知りたいのはここからです。「母分散が $6$ の母集団から $n=5$ の標本を取ったら、標本(不偏)分散が $8$ だった。これはどれくらいレアなのか」です。
この節のはじめのポテトチップス工場を思い出してください。「平均 $62.0$g・標準偏差 $1.0$g の充填機から $n=25$ 袋を取ったら、標本平均が $61.6$g だった。どれくらいレアか」という問いに、標準化して $z=-2$ にそろえ、$z$ 表1枚で答えました。今回はその「平均」が「分散」に替わっただけで、まったく同じ問いです。このレア度が読めて初めて、ばらつきが規定どおりか異常かを判定できます。
そして $z$ 表がそうだったように、ほしいのは母分散がいくつでも・単位が何でも、そのまま使える1枚の表です。
そのためにはまず、$\sigma^2$ のまわりをばらつく $s_u^2$ の定義をおさらいします。$s_u^2=\dfrac{1}{n-1}\sum(x_i-\bar{x})^2$ です。分母の $n-1$ はただの定数なので、値をばらつかせている犯人は分子だけです。だから、この分子がどんな値になるかを調べれば済みます。$s_u^2$ に $n-1$ を掛けて、分母を消してしまいましょう。
残った分子のほうは、手元の標本の各データ $x_i$ が、その標本の平均 $\bar{x}$ からどれだけ離れているかを2乗して足したものです(母集団ではなく標本の話です)。
ただ、この分子をそのまま調べるわけにはいきません。ひとつ下ごしらえが要ります。
分子はグラムの2乗(g2)のような単位を持っています。単位をミリグラムに変えれば、中身は同じなのに値は 100万倍($1000^2$ 倍)になり、まったく別の分布に見えてしまいます。さらに、ばらつきの大きい母集団ほど値そのものが大きくなります。
これでは、扱うデータや単位が変わるたびに分布の形も変わってしまい、さっきほしいと言った「1枚の表」が作れません。第5章でバラバラな正規分布を $N(0,1)$ ひとつに揃えたのと、まったく同じ事情です(第1章の偏差値・$z$ スコアでも同じ)。
そこで、そのときとまったく同じ手を使います。データ1個ずつの差 $(x_i-\bar{x})$ を $\sigma$ で割って標準化するのです。
左端の $\dfrac{x_i-\bar{x}}{\sigma}$ は、第5章の $Z$(中心から標準偏差 $\sigma$ 何個分ずれているか)と同じ形です。つまりこの量は「標準化した差を2乗して足したもの」です。つまり $s_u^2$ の分布を知ることは、「$Z$ のような値を2乗して足したもの」がどんな分布になるかを知ることと同じでした。そうして出てくるのがカイ二乗分布です。
$E[\chi^2_k]=k$、$V[\chi^2_k]=2k$、とる値は $x\ge 0$(自由度 $k$ が形を決める)
参考(2級では使わない):密度関数 $f(x)=\dfrac{1}{2^{k/2}\,\Gamma(k/2)}\,x^{\,k/2-1}\,e^{-x/2}\;\;(x>0)$
いま言葉でやった操作(単位を消すために $\sigma$ で割り、ばらつきの元凶である分子だけを取り出す)を、分布の絵で見るとこうなります($n=5$、母分散 $\sigma^2=6$ の場合)。
山の形はいっさい変わっていません。横に縮めて、目盛りを付け替えただけです。式で書けば $s_u^2=\dfrac{\sigma^2}{n-1}\chi^2_{n-1}$ です。やっているのは定数倍だけです。
だから重心にも2つの読み方があります。$s_u^2$ の目盛りなら重心は $\sigma^2$、$\sigma^2$ で割った目盛り(=カイ二乗)なら重心は自由度 $n-1$ です。$\sigma^2$ で割ったのは、母分散がいくつでも同じ1枚の表で読めるようにするためでした。
この $Z^2$ を独立に $k$ 個足したものが自由度 $k$ のカイ二乗分布 $\chi^2_k$ です。$k$(自由度)は「いくつの2乗を足したか」です。
では、足す個数 $k$ を変えると形はどう変わるのでしょうか:
では、手元の標本にあてはめたときに $k=n-1$ になるのはなぜでしょうか。$n$ 個の差を足しているのに1つ減るのは、差を測る基準が母平均 $\mu$ ではなくその標本自身の平均 $\bar{x}$ だからです。$\bar{x}$ は手元のデータから作った値なので $\sum(x_i-\bar{x})=0$ が必ず成り立ち、$n-1$ 個が決まれば残り1個は自動的に決まってしまいます。自由に動ける差は $n-1$ 個です(t分布と同じ理由)。
この節のはじめに出てきたポテトチップス工場(表示 60g、狙いの平均 $\mu=62.0$g)にもどります。この充填機はばらつき $\sigma=1.0$g(分散 $\sigma^2=1$)で動くのが規定です。ある日 $n=10$ 袋を抜き取ったら、不偏分散が $s_u^2=1.75$(標準偏差にすると約 $1.3$g)と規定より大きめでした。平均が 62.0g のままでも、ばらつきがこれだけ広がれば表示の 60g を下回る袋が増えてしまいます。これはたまたまか、それとも機械の異常か?
・$\dfrac{(n-1)s_u^2}{\sigma^2}=\dfrac{9\times 1.75}{1}=15.75$
・これは $\chi^2_9$(期待値 $9$)の右の裾(上側 約7%)に入る。
→ 規定どおりなら約7%しか起きない珍しさ ⇒ ばらつきが規定より大きいと疑えます。カイ二乗分布が「分散の珍しさ」を測るものさしになります(検定の手順は第8章)。
⚠️ 試験では、不偏分散を単に「分散」と書くことがあります。
③ F分布
カイ二乗が答えていたのは「1つの母集団のばらつきが、規定値 $\sigma^2$ とくらべて大きすぎないか」でした(さっきの充填機)。
では、比べる基準値がなく、2つの母集団のばらつきを互いにくらべたいときはどうでしょうか?「Aライン と Bライン、どちらが安定して作れているか」のような場面です。$\sigma_1^2,\ \sigma_2^2$ は直接見えないので、代わりに2つの標本それぞれの不偏分散 $s_{u1}^2,\ s_{u2}^2$ の比を見ます。この比が従うのが F分布です(中身はカイ二乗2つの比なので、これも正の値のみで右に歪みます)。
$s_{u1}^2,\ s_{u2}^2$ は2つの標本それぞれの不偏分散、自由度は $(d_1,d_2)=(n_1-1,\ n_2-1)$
とる値は $x\ge 0$、$\sigma_1^2=\sigma_2^2$ のもとで1のあたりに集まる
なぜ、そのまま比をとらずにそれぞれの自由度で割るのでしょうか。カイ二乗は「$Z^2$ を何個足したか」でした。足す個数が増えれば合計も当然大きくなります($E[\chi^2_k]=k$)。
つまり生のカイ二乗はデータの個数によって大きさが変わってしまうので、そのまま比べると「ばらつきが大きい」のか「個数が多いだけ」なのか区別できません。そこで自由度で割って1個あたりに直します。こうすると平均1の量になり、2つの分散が等しければ比はきれいに1のあたりに来ます。だから「Fが1からどれだけ離れたか」だけを見れば判断できるのです。
$F(2,\,12)$ と $F(12,\,2)$ はまったく別の分布で、数表の値も違います。$F(d_1,d_2)$ の $d_1$ は分子、$d_2$ は分母の自由度です。
また実務・試験では、大きいほうの分散を分子に置くのが決まりです。こうすると必ず $F\ge 1$ になり、右の裾だけ見れば済みます(数表も上側しか載っていません)。
さっきの充填機(旧機)は $n_1=10$ 袋を測って不偏分散 $s_{u1}^2=1.75$ でした。新しく導入した機械では $n_2=13$ 袋を測って $s_{u2}^2=0.5$ です。
新機のほうが数字は小さいけれど、これは本当に性能差か、それともたまたまでしょうか?
・大きいほうを分子に置いて $F=\dfrac{s_{u1}^2}{s_{u2}^2}=\dfrac{1.75}{0.5}=3.5$、自由度は $(n_1-1,\ n_2-1)=(9,\ 12)$。
・$F(9,12)$ の上側5%点は $2.80$。$3.5>2.80$ なので上側5%より外。
→ 2台のばらつきが同じなら、これほどの比は20回に1回も起きない ⇒ 新機のほうがばらつきが小さいとみてよさそうです。
※ 規定値 $\sigma^2$ と比べたカイ二乗と違い、ここでは相手の機械が基準になっている点に注目です(検定の手順は第8章)。
まとめ:いつ・どの分布を使う?
| 分布 | 正体(何の量か) | 形 | 主な用途 | 登場章 |
|---|---|---|---|---|
| 正規分布 | 標本平均(σ既知) | 左右対称 | 母平均・母比率の推定/検定 | 第7・8章 |
| t分布 | 標本平均(σ未知、s使用) | 対称・裾が太い | σ未知の母平均の推定/検定 | 第7・8章 |
| カイ二乗分布 | 標準正規の2乗和 | 右に歪む・正のみ | 母分散、適合度・独立性検定 | 第8・9章 |
| F分布 | 2つのカイ二乗の比 | 右に歪む・正のみ | 等分散検定、分散分析 | 第8・10章 |